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今年もありがとうございました。 [日記]

不定期更新の、このブログをご覧下さり、誠にありがとうございます。
2016年も暮れようとしていますね。

私こと讃岐人、年越しのパーティーなどには目もくれず、ぼっちで紅白を観ながらロッテの「Rummy」チョコレートを食べたていたら、すっかり酔っぱらってしまいました。

夏ごろから身辺が急に忙しくなったので、更新を不定期にしましたが、しまじろう関連の情報が滞ってしまい、実に遺憾でした。

クリスマスコンサートの話とか、いろいろと描きたかったのですが、年内には間に合わなかったです。

年明けからは、もう少し更新をしたいとは思っています。

それでは、皆さま、良いお年を。
2017年が、皆様にとって良い一年でありますように。

ゆく年くる年(JPEG).jpg

きょうの、らくがき(2016年12月5日) [日記]

おはようございます。

きまぐれ更新の当ブログをご覧下さり、誠にありがとうございます。

気が付いたら12月ももう5日目に入り、年末に向かって毎日が過ぎております。センセイと呼ばれる方や、お坊さんも走り回るほど忙しいから「師走」だなんてよく言ったものです。

昔は、売掛金の回収を年末に行っていたから忙しかったようですが、今でも忙しいですね。年末年始にお休みになる業種が多いので、12月は実際に働ける日が少なくなっている一方で、月締めのお仕事は同じくらいの分量があるので忙しいのかもしれません。

まあ、先生も走り回るほど忙しいのが師走のいつもの姿、ということなのでしょう。

と、いうわけで、今日のらくがきです。

師走!!(JPEG).jpg


走る、しかこ先生とみみ先生です。

しかこ先生は「こどもちゃれんじ」のキャラクターで、しまじろう君たちが年中さん(すてっぷ組)の時の担任の先生です。テレビの「しまじろうのわお!」にも、ちゃれんじ園での担任の先生として登場するのでおなじみですね。

みみ先生は「それいけ!アンパンマン」に登場する幼稚園の先生で、かばお君などのこどもたちの面倒をみています。しょくぱんマンが給食のパンを届ける幼稚園ですね。

こどもたちに人気の、二つの作品をつなげてみました。

それでは、楽しい一日をお過ごしください。

最近気になること [日記]

こんにちは。

低頻度更新中の当ブログをご訪問下さり、誠にありがとうございます。

私こと不肖讃岐人、自分の趣味に他人から文句をつけられるのは好きではないので、人様の趣味にケチをつけるようなことはやらないようにしていますが、どうしてもこれだけは言っておきたい事があるので、今回言おうと思います。

言っておきたいのは、最近の、私の目から見ると奇妙に思える、あるブームについてです。

最近は「艦隊これくしょん」なるスマートフォンやPC向けゲームが人気のようで、旧軍港の街の中には、それにあやかろうとしている舞鶴みたいなところも現れてきていますね。

なにやら、第2次世界大戦当時の日本海軍や同大戦に参戦した国の艦船を擬人化、それも女の子のキャラクターにしたものを集め、艦隊を構成し、ゲーム内で与えられる作戦に参加するというものらしいのですが、どうなんでしょうね。

この前、ごく小さな扱いでしたが、新聞だったかネットのニュースだったかで、オランダ、イギリス両政府が、「スラバヤ沖海戦」(※1)で戦没した艦艇の行方が分からなくなったことについて、徹底的に調査をする意向という記事を目にしました。

これらの艦艇は、随分前に発見されていたのですが、慰霊祭の準備か何かで再調査したら船体が丸ごと失われていたそうで、たぶん、何者かに回収されてしまい、屑鉄として売却されたのではないかと考えられているそうです。

関係者のコメントとして「古来、戦没した艦船は乗組員の墓所として保全されるのが通例であり、誠に遺憾である。インドネシア政府と協力して犯人を見つける。」旨の言葉が紹介されていました。

つまり、艦艇は、特に戦没した艦艇はお墓なんです。それを萌えキャラにしますか?

以前、さる筋の方から伺った話ですが、今の自衛隊でも護衛艦の中はとてもきれいに整理整頓されてピカピカなんだそうです。なぜかというと、何かあった時に物が散らばっていたら、すぐに全力が発揮できないこともありますが、万一沈められた時に、自分たちの棺になるからなんだそうです。平和な今でも、そういう考えなんだそうです。それだけ大切な存在なんでしょうね。船乗りにとっての船というものは。

繰り返しになりますが、それを萌えキャラに?ということです。まあ、萌えというモノに命を懸けている方もいらっしゃるでしょうから、何とも言えませんが・・・。

あと、漫画の「ドリフターズ」という作品にも、実在した日本海軍の士官である菅野直(かんの なおし:1921(大正10)年~1945(昭和20)年)中佐(※2)が登場していますが、未だ菅野中佐のことを記憶にとどめている方がいらっしゃる中で、フィクションの中で扱うのはいかがなものでしょう。

ただ、例え誰かの想像が混じっていたとしても、その人が生きていたことの記憶を留めてほしいと思う方もいらっしゃるかもしれませんので、これも何とも言えませんね・・・。それでも、扱いは慎重にしないといけないような気がします。美化しすぎるのもあれですし、貶めるのも何ですしね・・・。

まあ、それぞれの趣味ですからこれ以上は何も言いません。でも、なんだかこう、私の感覚がまともじゃないのかもしれませんが、それはやるべきことじゃないようなことが、平気で行われていることに、もやもやして気になって仕方がないのです。

さて、ここで本題はおしまいにして、おまけです。

露天風呂に入るしまじろう君たちです。

露天風呂(透明度0版)(JPEG).jpg


冬の冷たい空気の中、暖かい露天風呂につかるのは気持ちが良いですね。ゆっくりお風呂につかっていたいです。

それでは、楽しい一日をお過ごしください。

※1 「スラバヤ沖海戦」
1942年2月27日から3月1日にかけて戦われた、日本海軍の艦隊と蘭、英、米、豪四か国の艦船で構成された艦隊(ABDA艦隊)との海戦。日本側が駆逐艦1隻(朝雲)が大破したのみであったのに対し、ABDA艦隊は重巡洋艦1隻(エクセター(英))、軽巡洋艦2隻(デ・ロイテル(蘭)、ジャワ(蘭))、駆逐艦5隻(コルテノール(蘭)、エレクトラ(英)、ジュピター(英)、エンカウンター(英)、ポープ(米))が沈没する大損害を出し、東南アジアにおける日本の制海が確立した。これにより、日本による同地域の支配が決定づけられた。
 なお、2000年の日蘭交流400年記念で来日したオランダ海軍のミサイル艦の名も「デ・ロイテル」だった。(この艦は2001年に退役し、2004年に就役した今の「デ・ロイテル」は9代目である。)

※2 菅野直中佐
 1921(大正10)年9月23日~1945(昭和20)年8月1日?、宮城県出身(出生は当時日本領であった朝鮮の竜口(平壌の近郊))、海軍兵学校70期。愛媛県松山市にあった第343海軍航空隊の戦闘301飛行隊隊長として活躍、1945年8月1日東シナ海海上で消息を絶った。同年9月20日戦死認定され2階級特進(戦死時の階級は大尉)。大戦を通じ72機撃墜の戦果を挙げ、戦後「最後の撃墜王」と呼ばれる。
 なお、遺品が靖國神社「遊就館」に展示されている。